糖尿病で亡くなった伯父との思い出話
僕が栄養士になろうと思った理由はいくつかあるのですが。
プロフィールにもあるように実家の家族一同で健康オタクであることがひとつ
そして、親戚の一人を2型糖尿病で亡くしていることがあります。
以前にも糖尿病関連の記事で身内に糖尿病で亡くなった人がいるという事を書いたことがあるのですが、糖尿病の説明に終始してしまった感があるので、今回はこの親戚の伯父がどのように糖尿病に悩まされたのか、少し具体的に書いていきます。
糖尿病で亡くなるのは本人も周りもつらいこと
いきなり、どんな最期を迎えたのかという結論から
糖尿病の末期の症状としてよく知られる手足の壊疽は当然のように起って切り落とし、それだけではとどまらず舌の先も男性器の先も切り落とされ、途中からは意識障害も酷いので、痴呆のようにお見舞いに来てもそれが誰だか、思い出せない・分からないという感じでした。
兄妹であるうちの母がお見舞いに行くたびに、
「手足が不自由になっただけでなく、意識もはっきりしていないという状態はどんな感じなんだろうね」
と、悲しげに言っていたのは今でも覚えています。
まだ50歳と少しのところでした。
糖尿病は自覚症状が出にくい
糖尿病だけでなく、生活習慣病と言われるものは基本的にかなり状態が悪くなるまでは自覚症状が出ません。
このため、血液検査の数値が悪くても気にしないという方が多く
実際にこの伯父も
「今度透析が始まるんだけど、そうなれば食事は何も気にしなくてよくなるらしい」などと話していました。
今でこそ、そんなはずはないことは分かるし、一般常識ともなってきていますが
当時の僕はまだ高校生だったため、命にかかわるような状態にこの後なるということは思いもしませんでした。
そして透析が始まってからも本人は透析自体は不自由であるものの、健康的にどこかが痛いという不都合もなかったようで、特に生活も改善することなく過ごしていました。
糖尿は症状が出た時には後戻りできない
糖尿病の症状は主に合併症という形で現れます。
この伯父の場合は特に早めに出る症状がなかった(気づかなかった?)のですが、糖尿病性網膜症など、合併症は一度発症すると、生涯ケアしなければいけないものがほとんどです。
そして、壊疽(壊死との使い分けは諸説あるので今回は壊疽に統一)
血液がドロドロになり、末端の毛細血管が詰まることで、栄養と酸素が届かなくなり、体の一部が死んでいく状態です。
基本的に手足の指の先端から始まります。
そして、この伯父はそれだけに留まらず、舌の先端、男性器の先端にも同様の状態が起こり、手術によって切ることになりました。
もちろん失った部位は取り戻せません。
この時からこの伯父は家に帰るという選択肢をほぼ失ってしまいました。
常に医療的な処置が必要となったためです。
帰ったのは最後に無くなる直前だけだったと記憶しています。
このように糖尿病は途中まで、大した症状も出さずに油断させておいて、症状が出たならば後戻りできないような状態にさせるという、難儀な特徴を持っています。
糖尿が進むと周囲もその変わりように驚く
こういった症状の悪化による本人の状態の変化は本人と共に、周囲で関わる人にも衝撃を与えます。
この前まで、血糖値が高いだけと聞いていたのに、しばらくしてお見舞いに来てみたら・・・ということで、なんと声をかけて良いのか分からない。
なかにはそういった状態を直視することに耐えかねてお見舞いの足が遠のく親戚もいました。
最終的には意識障害も出て、誰かが来ても
「それが誰か分からない」
という状態にもなったので、さらにお見舞いに行く人・頻度は少なくなりました。
最期まで覚えていたのが僕の妹だったのはどういう理由なのか分かりませんが。
食べるものの重要性を知って栄養士に
母から聞いた話では、伯父の状態は悪くなった頃から僕は将来の道を
「トレーナーか栄養士」から「栄養士」という風に舵を切ったようです。
それまで、何が身体に良いか?
という話題には敏感だったものの、体に悪い習慣は何か?という点には疎かったので、それを知るという意味で目指した道とも言えます。
ただ、栄養士の課程を履修しながら思ったことは
・当然の事ばかり
・あまり目新しい話はない
ということです。
つまり、健康に近道はなくて、毎日の生活を整えていく、それも特別な方法や処方箋はない、と感じました。
こういったことを知っていて発信できたなら、少しは生活習慣病で苦しむ人を減らせるでしょうか?
最終的には本人の意思を尊重するしかないのが健康に携えわる人間のジレンマとなりがちですが、せっかく栄養士になったので、少しでも貢献できればと思います。