自転車は一度乗れたら一生乗ることができる では他の運動は??

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自転車

自転車は一度乗れたら一生もの

自転車に関しては一度乗ることさえできるようになれば、長いブランクがあっても次も不通に乗ることができるという言葉があります。

では他の運動に関しても昔できた運動は行うことができるでしょうか?

これはもちろんNOになります。

今回は運動では昔取った杵柄がそのまま適用できない部分について書いていきます。

自転車は本当に一度乗れたら一生乗れるのか?

これは大部分の人について10年20年乗らなくても、次に乗れば乗ることはできるでしょう。

ただし、5歳くらいに乗ったきり、次の乗ったのが30歳くらいとなると、なかなか難しいと思います。

自転車は2輪でバランスを取って乗ることが難しく、その感覚さえ失わなければ乗ることができるという部分についての表現ですが、以前と同じレベルで乗れるとは一切表現されていません。

自転車は前進、右折、左折、止まる

これだけできればとりあえず、「乗ることができる」と表現できます。

ただ、これに

まっすぐフラつかないで乗ることができる。

周りに迷惑をかけずに流れに乗ることができる。

こういった要素を取り入れると、同じように乗ることができるとはとても言えない状態になります。

要するに自転車を進ませることができる・・というだけの話です。

物事の簡単な部分だけを抽出しているので、あまり参考にならない話だと気が付くことができます。

こうなると一生モノの技術というよりも、現象として、「最低限乗ることが出来るはず」という程度になります。

自転車だけでなくスポーツも同様

これがスポーツになると、特に記録や相手がいる競技が多いことから

とても昔の栄光に寄りかかっていられないことが分かります。

そもそも人間は成長していきます。

身長が伸びることで重心が変わります。

筋肉がつくことで体重も変化し、発揮される力も変わります。

柔軟性も年齢と、日々のトレーニングや生活習慣によって大きく変化します。

そして30代にもなると、今度は様々な機能が衰えを見せ始めます。

こういった変化に対応して、昔と同じように行うことは困難が伴います。

環境の変化は人が思うよりも大きい

僕も実感したことなのですが、子供に見本を見せようと「側転」をしてみました。

一回やってみたら、できるにはできたものの、1回で疲れました。

これは昔のイメージとは全く異なる感覚でした。

まず体が非常に重たい・・・

昔はマットの上をすいすいと何回も繰り返すことができたのに「よいしょ」と思わず声が出そうな重さに感じました。

これは単純に体重と筋力のバランスが昔とは異なることに影響を受けています。

昔は体重が軽いので、筋力も少ないですが、その筋力でも軽く体を動かすことができます。

それが大人になるにつれて体は重くなるばかり・・・

筋力もそれなりに増えますが、増える比率が単純に異なるため、体重は倍以上になる人がほとんどですし。

なかなか難しいところです。

この手の困難さは特に腕を使う運動、バランスを取る運動で顕著です。

雲梯(うんてい)という公園でぶら下がって遊ぶ遊具がありますが、あれは顕著にこの部分を痛感させられます。

ぜひ公園でお試しください。

あとは子供と一緒にボルタリングをすると、大人が先に握力が無くなってしまい、子供より先に「帰ろう」と口にすることになったりします)僕がそうでした(笑)

体重が軽い方が有利なものもたくさんあるということでしょう。

そう考えると体操の選手が大きくなった体を支えるためにあれだけの筋肉質な体になることも当選と言えるのかもしれません。

身体の変化による影響を小さく

身体が大きくなる過程でも、その運動を続ければ、もちろん体は適応することができます。

ただし、これは万能というわけではなくて、一気に成長期で身長が伸びると、それまでに磨いたスキルがむしろ適応の足かせになってしまうことがあり、「いつスキルを最高点に持っていくか」という部分の難しさがあります。

身長が後々伸びることが分かっているのであれば、それまでにスキルを磨きすぎないという方法論も最近では取られるようになっています。

そして成長がある程度進んだところで一気に仕上げることで、この感覚的なギャップを最小限に抑えます。

この点が強調されるようになったのは、

フィギュアスケートの浅田真央さんが、一気に身長が伸びると共に正確無比だったジャンプを上手く飛べなくなったことなどから一般的に知られるところになってきました。

同じことはサッカーでも起こっています。

サッカーは背が高い方が有利だと思われますが、一気に成長してしまうと

足の長さと重心の変化

眼から足元のボールまでの距離の変化

こういった微妙な感覚に影響が出てきます。

特にボールを見ないで体の一部のようになつかう動きは、何年もの積み重ねによる部分になるので、体にしみこませた感覚そのものです。

が、急激な変化で上手くできなくなれば当然ボールを見ながらプレーをするしかなくなる、⇒その間についてしまう周囲との差は埋めることが難しい・・・

このため、高校生からフィールドをあきらめてゴールキーパーに挑戦する人もいたりします。もちろんそれも困難な道ではありますが。

それでも経験者は上手い?

そうはいっても「昔○○をやっていました」という人は他の人よりも上手な印象があります。

でも、これは勿論「昔そのスポーツをしていなかった人たちが比較対象」となっているからです。

当然ながらずっとそのスポーツに打ち込んできた人たちに中に入れば体力的にもスキル的にも足りない部分はたくさんあると思います。

自転車に乗ると同じく「最低限のものは身についている」という印象です。

まとめ

スポーツでの昔取った杵柄は、あくまで周囲が初心者や自分と同じ条件である場合に有効なものであって、「昔のようにできる」というものではないという事がお分かり頂けたかと思います。

昔から変わらない、あるいは上積みを期待する場合にはそれに比例するだけの努力が必要ということですね。

世の中そんなに甘くないとも言えますが、そういう中だからこそ、大人になってからの「楽しむスポーツ」という考え方も広げていけるのかもしれません。