若い世代が酒・タバコ・ギャンブルをしないのは合理的な判断から

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若い世代の判断は合理的

若い世代が酒・タバコ・ギャンブルをしないわけ

このところの若い世代(そういう表現をする時点で歳を重ねてしまったことを痛感しますが)では、酒もタバコもギャンブルも興味のない人が増えています。

これらはそれぞれの協会などの発表するデータにも出てきています。

残念なことに、これらは健康のためにそうしているわけではないようです。

職場が若い人ばかりなので話を聞く中で感じたことをおじさん目線で書いていきます。

若い世代の金銭感覚

お金がない、というのも本当ではあります。

バブル期と異なり、お給料もそれほど上がりません。

では、僕と比べてそんなにお金をもらっていないかと言えば、僕がその年齢の頃もらっていた金額とそれほど異なる訳でもありません。

特に能力がそのまま給料に反映されるわけではない職種では、どこも似たようなものだと思います。

では、何が違うのかというと、

合理的かどうかでお金を使うかコントロールしている点です。

僕の頃は高校生がかっこつけるためだけにタバコを吸っていることもありました。

不良のトレードマークとして扱われたり。

お酒も何となく「大人のしるし」のような感じがあって、20歳前に大体の人が飲んでいました。

それに対して現代の

若者たちは

タバコは高価(確かに20年前とはだいぶ違うでしょう)で、体に悪い。

そういった物にお金を使って、吸う為の時間を割くのはもったいない。

お酒も同様です。

僕らの頃にはコミュニケ―ションのツールとしても使用されましたが、最近は若者を飲みに誘うのも気を使います。

一方でお酒の席でもノンアルコールを気にせず飲める時代がきました。

これは彼らが作ってくれた良い文化だと思います。

彼らは非常に気を使ってくれて、頭も良いので、昔の文化も尊重してくれますが、僕らのしていたことを「無駄が多い」と思っているかもしれません。

確かに酔わないと言えない意見に意味があるとは思えませんし。

僕は昔「無駄な事が贅沢なのでは」と思ったこともありましたが、彼らはそんなことは無いようで、しっかりとした考え方をしています。

若い世代は合理的な判断をする傾向が強い

僕は結婚前に280馬力のスポーツカーに乗っていました。

何となく、1500㏄位の車に乗っても「つまらない・かっこ悪い」と思って購入しましたが、これも現在ではあまり通用しないようです。

ちなみに僕の感覚では、1500㏄の車はママチャリ スポーツカーはクロスバイクやロードバイクのイメージなので、せっかく高いものを買うならママチャリはちょっと・・・というものでした。

でも、実際にはすごいパワーがあっても、公道ではそれを使う所がない

確かにそうです。

僕もその車のフルパワーをほとんど見たことがありません。

高速道路で加速をする際に稀に生かせるくらい。

後の部分は自己満足やファッションなのかもしれません。

こういった部分を削ぎ落として考える事の出来る若い世代は、使用目的に沿って車種を選ぶことはあっても、見栄も少しは張っても、僕ほどではないのでしょう。

その影響で大分市場からスポーツカーが消えてしまいました。

少し寂しい。

娯楽についても同様で、ゲームしたいなら、スマホでもテレビゲーム(初期投資が少し必要ですが)でも、それなりの金額で長時間楽しむ事ができます。

この問題は日本だけでなく、ニューヨークなどでも同様の理由から、夜遊びを外でする人口の減少との関連性が書かれている記事もあります。

しかも、最近は動画配信サービスも増えているので、家に居ながら、何でも好きなものを見ることができるという環境が整ってきています。

こういった背景を考えると、僕らの頃よりもお金を使わずに多種多様な娯楽を体験で来て、満足度も高いのでしょう。

僕らは何かを求めると外へ出る必要がありましたが、今はそういう時代ではなくなっていると。

その分外で使うお金も減少しているだけかもしれません。

こう考えると「合理性」だけで話を片づけるのは乱暴で、「娯楽の多用化と手軽さ」などお金を使わずに満たされるものが増えている事もあると思います。

合理的に生活しても寂しくない時代

では、家にいるので寂しさがあるかというと、今は場所を選ばすにSNSでつながっています。

家から出なくても、人に合う事とほぼ同等の状況も作ることができます。

それぞれ自分のリズムで生活して、何をしているか報告し合う。

こうなると合理性と娯楽の多用化手軽さを区切る必要もなくなってきます。

僕もきっとこの時代に生まれていたら、その生活の身軽さに引き込まれている事でしょう。

でも、そうなるときっと結婚しないでしょうが・・・

結婚て、今の時代には合理的でもないし、手軽でも、娯楽でもないですから。

でも、そんな彼らの生活を羨ましいと感じてしまうのは、仕方のないところでしょうか?