食べるということの意味は主観で異なる
障害者施設や高齢者施設では食べる機能に課題の有るケースでは
食べ物を小さくカットしたり、ミキサーにかけたりと加工することが多くなります。
これらは食べる方の機能に合わせての対応であり
誤嚥、窒息などのリスクを小さくし、安全性を高めるためのものです。
一方で、これらの対応で加工すればするほどに、一般的な食事からは形が離れていきます。
現場としては安全第一で対策を取っていきたい。
でも、ご家族や本人からすれば、通常の食事をもう食べることはできないと言われているに等しく(機能回復して食べることができるようになることもありますが)、抵抗感があるのは当然のことと言えます。
こういった立場の違いからくる「食べる」ことへの理解
これは単純に食べ物の形を残してあげたいというものに留まりません。
「食べる」の定義の違い
そもそもの話になりますが、食べるという事自体について見え方が異なります。
現場ではムセなどなく、安全に食べることを「食べる」とする一方で
家庭などでは、せき込むことがあったりしても、口に入れた食べ物が飲み込みさえされれば食べた、食べる事ができると判断します。
それがいけないという意味ではなくて、噛む・飲み込むという事についての知識が十分でないというだけのことです。
なので、僕が食形態の相談をご家族にする際には、出来るだけかみ砕いて説明するようにしていますし、質問はできるだけすべての答えるようにしています。
基本時間をかけて相手にも咀嚼や嚥下についての説明をきちんと行うと、そんなに拒否された記憶はありません。
一方で安全のため、という事で強引な説得を行ったことで関係性が悪化してしまったというケースは同じ法人内でも聞いたことがあります。
機能低下は誰にでも
年齢を重ねると、食べにくいものが出てきます。
それは脂っこいものを食べると胃がもたれるなどから始まります。
これは消化機能の低下による部分がありますが、そうなるとあまり脂っこいものを食べないように避けるようになっていきます。
僕も最近あまり脂っこいと厳しくなってきました・・・
なぜこのような話をしたのかというと
人は難しく感じることは避けるというのが意外と重要だからです。
例えば上記の例
脂物を控えていたとして、栄養士などに「食事は普通にしていますか?」などのように少し曖昧に聞かれたのであれば「普通に食べています」と答えるでしょう、僕だってそう言います。
同じように硬いものを避けるようになった、飲み込みやすいものを食べるようになったなど
食べ物の選択だけで解決できる場合、人はそれを自分の課題だと感じない傾向があります。
要はそれを食べなければ良いだけなので。
そのため、こういった食事の機能的なことで質問をする際にはあえて踏み込んで
- 硬くて食べにくい食材はあるか
- 飲み込みにくい食材はあるか
あえて具体的に聞く必要があります
そうするとようやく「最近どれそれが食べにくい」という話を引き出すことができます。
自分のことや身近な人の事こそ問題と捉えにくい場合がありますが、食事については正にそれに当てはまると思います。(もちろん危機感を強く持っている人もいますが)
提案の仕方も重要
現場の都合で食形態を変えるということは少なからずあります。
マンツーマンで食事介助をすれば食べられる方がいたとして
家庭なら手厚くやることができたとしても、そういった方全員に対し施設で対応するだけの職員数を揃えている所は基本的にはありません。
そうなった場合には、マンツーマンで全員を見る事ができないので、施設ではこういった対応をさせていただきたいという旨は正直に話した方が今までの経験上理解を示してもらえます。
たまに、こういった施設の都合を話すことが施設や自分自身にとってマイナスだと考える人もいますが、その場合には本人の食事能力が足りないなど、原因を他に押し付けることになりますし、大体それは他の誰かにとって愉快ではない話となってしまいます。
僕はそうなるくらいなら、「マンツーマンでずっと食事介助すればここまで食べる事ができそうなんですが、申し訳ありませんがこちらの人員上そういった対応ができないので」ということを正直に話した方が良いと考えています。
むしろあちらから新しい提案をしてくれたりしますし、やはり嘘や誤魔化しは変に行わないに限ります。
すでに書きましたが、信頼関係を崩さないというのは何よりも重要だと思います。