眠くなる会議や研修の共通点

スポンサーリンク
無駄な会議

眠くなる会議や研修会には共通点がある

僕が会議や研修会に参加してきた中で

眠くなる会議や研修会がいくつもあったのですが、それらには共通点がいくつかあります。

その代表格を紹介していきます。

 

挨拶が長い

本題に入る前の挨拶や講師紹介がやたらに長いとそれだけで眠くなります。

特に講師紹介は事前資料などにも肩書は書いてあることがほとんどなので、ざっくりの説明にして欲しいところです。

こういった背景には講師の先生をよいしょするという狙いがあると思いますが、話を聞く側にはそれは関係ないので舞台裏でやってもらいたい・・

 

「スピーチや挨拶は短いほど素敵」というのが個人的に肝に銘じているものです。

基本的に話の長い人のことは「話をまとめる能力の低い人」という目で見てしまうので、最初の挨拶が長いだけでテンションがダダ下がりになります。

頭の良い人は要点を端的に伝えるのが上手ですよね。

パフォーマンスとして敢えて時間をかけるなどの狙いがあれば別ですが、会議や研修会ではその手のパフォーマンスがウケるとは思えないので避けるのが吉でしょう。

 

資料をただ読むだけ

資料やデータなどをただ読むだけのものは退屈でしかありません。

個人的にはただ読むだけなら資料だけ配ってくれれば良くて、読んでもらわなくても分かるのに音読されても不要なサービスを受けている気分です。

 

そして、音読する相手よりも黙読するこちらの方が速いのは当然の事なので、ダラダラした会議・研修会になってしまいます。

 

僕が資料作成する際にはトピックをいくつか抜粋したものを事前に配布などして、細かい点を話ながら付け加えていくというスタイルを取っています。

ただ読んでいくのとは異なり、その場の空気感などによって話の方向性を変えることもできますし、気分で話す内容を変えていくこともできます。

カチカチの台本を読むだけよりは話す方も聞く方も楽しいのではないかと思います。

資料に全部書いてあると、話を聞く気をなくしますが、書いてないことの方が多いとなるといつ自分の琴線に触れる話題が出るか分からないので、話にも意識が向きます。

 

「あ、この人資料をただ読むつもりだ」と分かってしまった時の絶望感は言葉にできません。

資料だけもらって帰ったって得られる情報量に差がないし。

 

自慢話が入る

資料通りではつまらないとは言っても、自慢話をされるよりはマシとも言えます。

「他人の自慢話ほど退屈なものはない」なんてセリフをどこかの漫画で見た記憶がありますが、概ね賛成です。

そこにユーモアがあれば別かもしれませんが、会議や研修会などの場で堂々と自慢話をする人にユーモアがあるかというと・・・・難しいでしょう。

 

パワポに力が入り過ぎている

資料をパワポで作ること自体は反対でも賛成でもありません。

特にプレゼンなどはパワポが向いていることも多いですs。

 

ただ、困ったことに自分の話の内容に自信がない人ほどパワポを派手にしたがります。

クリックするたびに浮かび上がる鮮やかな文字たち・・・

本当に相手が求めている内容の話ができる自信があれば、パワポは文字があるだけで良いわけです。

デザイン性で魅せるのは本来の目的ではないはずなので。

 

ここは日本人にありがちな「がんばりましたアピール」が感じられ、「がんばったから少し拙い内容でも許してね」という心の声が聞こえてくるようで、こちらの心と頭が痛くなります。

 

最後に

色々クレーマーのごとく書きましたが

一言でまとめると

資料をただ読み上げるのではなく、シンプルな資料を基にシンプルに話をしてくれれば良いのに、なぜか余計なものがついてくるのを辞めたら良いという感じです。

 

最近そんな僕の参加する会議が変なポエムに浸食されてきて辟易しています。

贅沢は言わないどころか、より簡単にして欲しいというはかない願いはなかなかに受け入れてもらえないようです。