やった感のための仕事は嫌い
今回は僕個人の話になるのですが
ただただ自分の満足感だけの為の仕事が嫌いです。
食べる側の人たちにメリットのある仕事ならやりますが
食べる人たちに何のメリットもない仕事は極力増やしません
余計な仕事を受けると労力が分散するので、食事の質などが下がりかねないからです。
うちの法人は真面目な栄養士が多くて、少しでも手が空くことを「悪い事」だと考えがちで、とりあえず新しい仕事を作って満足感を得てしまうという悪癖があります。
僕からするとその「手が空く」は余裕であり余力なので、常にその状態でいることこそがトラブルなど不測の事態への対応として必要なものだと思っているのですが。
そのため、僕は法人内で最も仕事していない、やる気のない栄養士となっています。
自己評価を気にしすぎると起こる
では、どうして真面目な人が自分の首を絞めるような仕事の増やし方をしてしまうのかというと
何もしてなくてぼーっとしている(あくまで比喩)ことを悪い事だと思っているというのはすでに書いた通りなのですが
その状態を見た周囲から、「手を抜いている」「何もしていない」と言われることが怖いからという側面もあります。
実際僕も若い頃は周囲の評価やどう見られているかは若干興味がありましたし、気にしながら仕事をしていたような気がします(遠い目)
実際、栄養士の上司に、とある仕事について僕が「無駄では?」と言った仕事について
「上層部への栄養士のアピールになる」と返してきました。
大企業ならこういった保身的な仕事もアリかもしれないですけどね
小さいところであれば、そんなことより身近な食事を食べる人からの評価の方を気にして欲しいものだと個人的には思いますし
結果的にそんな組織で偉くなってしまった人は合理的に仕事を組み立てることが苦手な人たちばかりで、そうなれば自然と偉い人の顔色を伺った仕事しかできなくなるのは必然的なものです。
あれ?
この書き方だと僕が異端児か会社に反旗を翻しているアウトローみたいに見えてしまう・・・
実際はやる気が欠如していますが、現場では周囲と和気あいあいと仕事してます。
むしろ余計な仕事は厨房に持ってこずに蹴ってくる分、厨房からの信頼は厚いと思っています(ここまで軽い自己弁護)
手持無沙汰な状態が怖いというのは個人的に理解できます。
でも、余計な仕事を作り出してしまうくらいなら自己研鑽などに上手く使えば良いと思うのですが・・・
僕が仕事を評価する側の人間だったなら
むしろ余計な仕事をしている人を見つけて
「余裕あるな、暇なのかな?」と思ってしまいます。
手一杯で仕事している人は無用な仕事など増やす余裕はありませんから。
あるいは「この人は合理的に仕事ができない」と評価してしまうかも。
余裕なんてなんぼあっても良いもんですからね。
やることをしっかりやっていれば良いのです。