職場で人を信じるということ

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信頼

任せるということは信じること

僕は仕事をしていて、

人を信じる⇒人間不信⇒再び信じる

こういった流れで人生を送っています。

また近いうちに変わるかもしれませんが(笑)

  

これには年齢的・経験的な背景が大きいと思っています。

 

この経緯を踏んで現在は人を信じながらどのように仕事をしているのかなど簡単に書いていこうと思います。

 

任せることは信じること

僕は栄養士としてそれなりの期間働いてきていますが

厨房でも他職種と絡む場面でも、昔ほど細かく指示をしたりしなくなりました。

聞かれれば「大体こんなイメージ」というのを伝えて、それで相手が仕事に取り掛かれば後は任せてしまいます。

それでは分からないという場合には向こうからもう少し具体的な指示が欲しい旨の質問や意見が出るので、それに合わせて少しずつこちらの意見を伝えていきます。

 

昔は僕のイメージ100%のものを作り上げたいという気持ちがありました。

分かりやすく給食で言うなら、盛り付けの時に「どんな切り方をした」「何が」「お皿のどこに」「どんな向きに置くか」までイメージした通りにしたくてカギカッコのところをそれはそれは時間をかけて説明し、その通りにやってもらうことが普通だし、良いことだと思っていました。

 

それが今では僕のイメージと違ったとしてもそれはそれで良いと思うようになっています。

途中で明らかにおかしな方向に仕事が進んでいなければ、細かい修正は入れません。

これには「自分の想定していない方法でより良い結果が出ることがある」ということを知ったからです。

 

こんなやり方もあるのか。

こういう方法でもできるんだ。

自分だったらやらない方法だからこそ、学びになりますし、新しい発見になります。

 

仕事を任せた相手は自分なりに頭の中でイメージを作って取組んでくれることが殆どです。

なのに途中で余計な口を挟むと、そのイメージを修正しなければいけないですし、横から口を挟む行為が任せていない=信じていないということに他ならないからです。

 

さらに言うと

余計な口を挟む人がいると、みんな正解や自分のイメージ通りに作ろうとするのではなく

余計な口を挟む人の喜びそうなものを作ろうとします。

要は顔色を伺いながら作るようになり、自由あるいは新しい発想は全く出てこなくなります。

 

自由にやれる環境が苦手な人もいる

ここまでは人を信じて仕事を任せるメリットについて書いてきましたが、実際にはこういった幅のある自由を苦手という人もいます。

 

僕も今までに何人かこういった人と仕事をしてきました。

こういった人の多くは指示通りに作る、マニュアル通りに仕事をすることが不自由ではなくて

自分が責任を負わなくて済むと感じています。

 

このため、好きにやって良いというと逆に仕事が止まってしまうことがあります。

こういった場合に、僕が行うのは

2択から始めるという方法です。

 

具体的には

「今日の主菜の人参は短冊かいちょう切りくらいが他の食材とのバランスが良さそうだけど、どちらでも合いそうだな~」というような感じ

少し悩んで見せると、相手から提案があったりします。

そこで出た提案を了承して進めてもらうというやり方です。

少しずつ選択肢の数を増やしたり自由度を、¥上げていきます。

 

こうするとどちらでも大丈夫という太鼓判をもらっているので安心して取り組めますし

最終的な選択は自分でしたという経験も積み重ねることが出来ます。

大体の方がこれをしばらく繰り返すと、提案の幅が広がってきますし、こちらが選択肢を出してから答えてくれるまでの時間はどんどん短くなっていきます。

要は慣れであり、日本人は特に空気を読みすぎて自分の意見を言わない風潮があるので、今までの経験を否定するのではなくて、新しいやり方に慣れてもらうというくらいの感覚が良いと思います。

 

結果についての考え方

任せて仕事を行う

その結果として、よくできた場合には取り組んでくれた人の成果として還元します。

「〇〇さんの作った料理が誉められたよ!」という感じに

 

一方、あまり芳しくなかった際には

その責任は栄養士である僕が取ります。

これは立場的にも当然ですし、任せるという判断の責任を負うのは当たり前だからです。

ここで逃げてしまって調理した人に責任を押し付けてしまうと、次は任せてもやってくれないでしょうし、そんな上司は誰も信用しませんから、最も重要な点であると言えるでしょう。 

 

ただ、反省についてはそれぞれがイメージを持って仕事に取り組んでくれているのでたくさん意見交換できるようになりますし、次に生かせる環境もできてきます。

 

信じることの意味が変わった

20歳そこそこの頃の僕にとって人を信じるというのは

  • この人なら成功させてくれる
  • 失敗しないはず

こういった信頼であって、失敗した場合には裏切られたと感じる、あるいはその失敗を責めてしまうような感情を持っていました。

要はその人の能力だけでの信頼であって。

結果は成功しかありえない。

 

そしてその後には、「自分でやった方がイメージ通りにできる」、となってしまい、業務過多になって自分を潰しかけたこともありました。

 

現在の信じるというスタンスは

  • 仕事をきちんと分担する
  • 仕事をする人の成長を促す

こういった部分に焦点が当たっています。

上手くいかなかったのであれば、それを次回に生かす。

何かあれば僕が頭を下げれば良いだけです。

若いころは周りからよく見られたい、評価されたいという気持ちがどこかにあったのだと思います。

それが、どうでも良いと割り切った結果が現在の自分の至る所です。

 

この方法がベストなのかと言われれば、僕もまだまだ道半ばなのではっきりとは言えませんが、しばらくはこの方法を取りつつ、更にバージョンアップさせていきたいと思います。