アドバイスが本人の成長を妨げる場合がある

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アドバイス

今回はいつもと少し風向きの違う話になります。

僕が職場でも、私生活でも気を付けていることになるのですが、大人から子供、上司から部下への声のかけ方一つで、本人の成長機会を奪ってしまったり混乱させてしまうことがあるという内容になります。

 

今回の内容を書くきっかけとして

僕はサッカーやフットサルを趣味で続けているのですが、幸いにもJリーグの下部組織に属している子供などとも一緒に蹴る機会に恵まれています。

そんな中で、関わる大人の一人が

「とりあえずシュートしとけ!」と子供に向かって言ったので、場の空気が騒然としました。

実はこういった声かけ、90年代くらいまでは普通に蔓延していました。

ただ、今は行うことはありませんし、こういった発言をする指導者やコーチは白い目で見られる時代になりました。

 

どうしてこういった声のかけかたが良くないのか

そして、大人から子供への発言として良くないということは基本的に大人同士でも良くないに決まっている(個人的な思い込み)ので、こういった点について少し書いていこうと思います。

 

自分で判断する機会の重要性

サッカーも仕事も同じですが、リアルタイムで判断しなければいけない場面があります。

毎回コーチや上司に確認できるわけではないという感じです。

 

そうなると自分で判断する能力が必要です。

でも、前記した「シュートしておけ」は

そういった判断を本人から完全に奪ってしまいます。

更に、こういった声掛けが続くと

正しい判断よりもコーチや上司の頭の中にある答えを当てるゲームを始めてしまうようになります。

こういった人たちに怒られないように、何か言われないようにプレー、あるいは仕事をしてしまうわけです。

それが正しくなくても、自分の考え方とは違ってもです。 

 

こういった本人の判断力を阻害せずに育てるために、本人の選択肢を狭めたり、選択の機会そのものを奪ってしまう声掛けは本人の成長にとって百害あって一利なしです。 

 

なぜ判断を奪う声替えが行われるのか

こういった声掛けは行っている側からすると良かれと思って行っていることがほとんどです。

人生の先輩たるコーチや指導者、仕事の上司などは、その経験から先が見えたり、自分の人生の失敗を同じようにして欲しくないという思いから、ついつい色んな事に口を出してしまい、相手から判断する場面を奪ってしまいます。

 

育児の場面でも同様

うちの嫁さんが子供に英語の塾に行くかを自分で決めて良いと話したことがあるのですが、子供は行きたくない理由を説明しているのに

「その理由じゃ納得できない、それなら行った方が良い」と将来どんなに英語が必要になるか力説していました。

これは親からすると必ず子供のためになると思っての行動です。

 

ただ、子供からすれば自分がそれをしない理由も説明しているし、判断もしているのに、それを否定されてしまっています。

これでは言われた方からすれば、「自分が何を言ってもどうせ聞いてもらえない」となってしまい、自分で考える・判断するということをやめてしまうでしょう。(この件はのちに僕が介入しました)

 

では、親子間ですらこういうことが起こるのはどうしてでしょうか?

親からすれば「良かれと思って」「本人の為に」となります。

ただ、実際に起こっているのは自分の価値観の押し付けです。

こういった大人は

自分が苦労してきたからこのままだとこの人も苦労してしまう

こんな感じに考えて口を出してしまいます。

 

仕事などでも同様で

このまま仕事を進めたら失敗してしまう

あるいは

自分がその方法で苦労したことがあるので、それを伝えたい

要するにこの後起こることを人生の先輩として予想していて、本人の気づきを無視して、先回りしてそれを伝えることで防止しようとします。

転ばぬ先の杖というやつですが、お節介が過ぎると問題も起こるという感じです。

 

僕はこの先回り自体は悪いと思っていません。

ただ、こういったトラブルが起こるかもしれない、苦労があるかもしれないと伝えることは良いけれど、最終的にどうするか、どうしたいのかを決めるのは本人でないといけないと思っています。

 

判断と決断は社会で生きていくうえで必要なものです。

さらに、それらは社会人ともなると責任の伴うものにもなります。

そういった機会を奪うというのは避けるべきだと思います。

さらに言えば、僕が失敗した方法でも、僕じゃない人が行えば成功する可能性だってあるわけです。

安全な道を指し示したくなる気持ちは僕にもありますが、難しいやり方だって成功させてしまえば良いわけです。

特にスポーツは気軽に失敗できるのが良い所です。

判断ミスをして負けることはあるでしょうが、それで命を取られるわけではありません。

判断して、失敗してもどうリカバリーするのかまで学ぶことがができます。

なのにそのスポーツでさえ「ああしろ、こうしろ」と判断の場面を奪ってしまうのは非常に寂しく感じますし、大人の価値観や勝ちたいという気持ちの押し付けになってしまいます。

 

仕事で判断の機会を作る

僕は栄養士という立場上、調理するスタッフに指示を出すことが多くあります。

でも、自分で考えるという機会は作りたいので

  • 相談する
  • 悩んでみる(みせる)

この2つを意識して仕事に臨んでいます。

 

食材の切り方や盛り付けをどうしたら良いか聞かれたとしたら

「普段はこうしているけど、今日は少し違う感じにしたいんですよ」

みたいなフワッとした返事をしています。

 

今の現場の人達はそんな僕の態度には慣れたもので

「じゃあ、こういうのはどうでしょう?」と提案してくれます。

最初のころは遠慮したり、戸惑ったりして簡単に提案までいきませんでしたが、何か提案しても僕が断ったり文句を言わないと分かってからは積極的に自分の意見を言ってくれるようになりました。

 

実は多くの人が口に出さないし、自分でも意識していないけれど、実は先のイメージを持っていたりするんです。

そして、それを表に出す場面があることを知れば、もっと物事について考えてくれるようになるし、どんどん具体的な意見が表出するようになります。

 

こういった提案をしてもらった際のポイントとして

少し微妙だな、くらいまで受け入れる心構え

それ以上にズレを感じたら、もらったアイデアに付け加えるような雰囲気にしつつこちらの意見も載せていく

要するに、自分の意見が認められたと感じられる場面をしっかりと作ること。

ここまでに書いた通り、せっかく自分の意見を言っても受け入れられないと感じると人は口と心を閉ざします。

オープンに意見を言える環境の維持こそが大人や上司に与えられた使命とも言えるのではないでしょうか。

 

最後に

実は具体例などを挙げながらまだまだ書きたいことがあるのですが、これ以上続けると話が散らかってしまう(すでに散らかり始めている)ので、今回はこの辺りで切り上げたいと思います。

 

スポーツの指導者も仕事の上司も最終的には人を育ててナンボだと思っています、

マンパワーと言いながら働く人をないがしろにする風潮が僕の周りにはありますが、例えば、いずれ僕が異動する時、次の栄養士が困らないだけの人材を育成しておくことが今回の僕の仕事だと感じています。

 

こういった考え方は僕がこれまでにお世話になった人からの影響によるところが大きいです。

 

ちなみに本文中にはあえて書きませんでしたが。

先回りしての忠告は昔からあります。

僕も親や先生、職場の上司などから散々色々言われてきました。

でも、若いうちってこういった助言に耳を貸さないですよね(笑)

自分が聞かなかった先人の話を、今の若い子には聞けというのは横暴な話です。

自分の若い頃を思い直してみましょう。

たぶん忠告が減るはずです。