給食ではAのメニューかBのメニューかを選択できることがあります。
これを選択メニューあるいはセレクトメニューと言います。
病院などに入院された方は、知っているのではないでしょうか?
食事が選べるというのは基本的には良いことですし、2択が多いとはいえ好きなものを食べられる可能性も上がるので、やれるところでは実施していますし、施設によってはそれによって加算がつくので、経営上のメリットもあったりします。
ただ、僕がいる施設ではこれらは行っていません。
その理由としては以下の2つになります。
- 施設を使用している人の特性上、選択が難しい
- 実施しても加算は特につかない
障害者施設では選択(セレクト)メニューを行っても加算がつかないので経営上のメリットはありません。
他ではつくのに障害者施設では加算がつかないのは国としてそのサービスは求めていないという事なんでしょうか
施設を使用している人の特性についてですが
僕がいる施設は重度の知的障害者福祉施設です。
もちろん個人差は大きくありますが、かなりの割合の方が自分の意志を表現することができなかったり、難しかったりします。
昔は言葉でコミュニケーションを取れなければ指で刺してもらったり、視線を送ってもらったり工夫しましたが、そういったことも難しかったり、正しく意志が伝わらないこともあって、選択肢があることがむしろ困難な状況を作り出してしまうということもありました。
そして、給食で選択の機会が作れないとしても、今の世の中、いくらかお金を持ってコンビニに行けばそこには無数の商品があって選択することができます。
言語のコミュニケ―ションが難しくても、コンビニでの買い物はできるという人も多いので無理に給食で選択を作る必要性もない時代になったとも思います。
そして、僕が給食で選択するということをやめた最大の理由ですが
実はしっかりと理解力もあり、言葉でのコミュニケーションを取れる人達とのやりとりにあります。
「なんで両方食べさせてくれないんだ」
「悩むから時間もらって良い?」
そういった言葉を聞いているうちに
僕は選択肢を提示していましたが、それは僕の思っているように
「どっちを食べる?」ではなく
「どちらを食べない?」という選択になっていたということに気が付きました。
外での選択であれば、2択ではなく、第3の選択肢、あるいはそれ以上のやり方があるでしょう。
でも、施設内での給食では、その時にどちらか一方しか選べません。
正直半分ずつ両方食べられた方がうれしいでしょう。
つまり
選択の機会を作っていた(つもり)
それがサービスの向上(だと思っていた)
要するにこちら側の完全なエゴではないかと考えるようになってしまいました。
障害者の支援も変化している
一方で障害者施設における支援は少しずつ進歩しているように感じています。
昔は日中預かって、無事に家に帰すという点に特化していましたが、最近は障害特性を踏まえて、機能の維持や、より良い生活が送れるための色々を身に着けるための取り組みなども増えてきました。
そんな中で給食で無理に選択の機会を作らなければいけないということももうないだろうと思います。
給食での選択はその仕事を無事に終えたのではないかというのが僕個人の考えです。
もちろん、知的に問題なく選択することができて、食事の2択を楽しめる方のそろっている場合などはこの限りではありません。
でも、そういう人こそ外で様々な選択を日々しているので、必要があって行うというよりは食事を選ぶ楽しみを提供するというほうがしっくりくると思います。
まとめ
施設においてどのようなサービスをどういった目的で実施するのかということは意外と周期的な見直しが必要です。
昔からやっているから・・・・
恒例なので・・・
今までと同じようにやっている方が楽だから・・・
こういった理由なき理由で実施しているものが案外あるというのが僕の経験上での意見です。
今までやっていたことをやめるというのは、勇気がいります。
手を抜いているようにも見えるかもしれません。
でも、不要な手間は省いて、もっと必要なサービスに注力するという目的さえきちんとしていれば、その一歩を踏み出すこともそんなに難しくないと思います。