練習時間は長さよりも質が重要な理由と抱える課題
近年様々なスポーツで練習時間はその時間の長さよりも質が大事であるという事が言われるようになってきました。
これは練習の効率を上げる(効果を得やすくする)、ケガの防止など様々なメリットがあります。
一方で、そうはいっても練習時間を多めに取りたい理由も様々にあります。
今回はそういった事情などについて書いていきます。
練習時間を短くするメリット
短い時間に集中して質の高い練習を行うことで
- 集中力の欠如によるダラダラした練習を行わない
- ケガの防止
- 疲労の蓄積を防ぐ
要するに、高い集中力を保った練習を行い、なるべくフレッシュでケガをしにくい状態でいられるようにするというイメージです。
サッカーで例えると、みんな毎日の長時間に渡る練習で疲れた体を引きずりながら行うよりも、フレッシュで機敏に動いて行う方が、判断力なども高い状態ですし、DF役の動きも良くなるので、練習の質は自然と上がります。
特に欧州のトップレベルのチームになると1日の練習時間は90分としているところが増えてきています。
その代わり練習と練習の合間の休憩時間は水分補給くらいです。
これはサッカーの試合が90分であること、その合間にはあまり休む時間を取れないことに由来しています。
要するに90分をしっかり戦えるようにするには90分しっかりとした練習を行う事であり、それ以上の時間プレーする必要はないという割り切り方です。(実際に欧州でもトーナメントなどで延長戦があるレギュレーションもありますが、ごく少数の場面であり。1年に1回あるかどうかくらい)
このため、練習時間は90分だとしても、求められる動きの強度は試合に準じたものになるので十分な負荷になるようで、こういった監督の下で練習をしたことのある選手はその時間と反比例する辛さについて語っています。
そして、強豪と呼ばれるチームは様々な大会に勝ち続けるので、スケジュールもタイトになってきます。
こうなると、次の試合までにどのくらい回復させられるか?ということが勝つ為に最も重要な項目になります。
疲れを溜めないという目的はこういった部分でもメリットになります。
こういったトップレベルのチームの様子を見る限り
練習の質は保たれ、疲労の蓄積や集中力(注意力)の欠如によるケガは少なくなるので、良いことずくめのように見えます。
では、どうしてもっと広く一般的にこういった考え方が浸透しないのかというと、そこには様々な理由があります。
それでも練習時間が長くなる理由
まず第一に、欧州トップチームとは環境が異なる事は大前提です。
世界最高レベルの選手が集まれば、そもそも個人としての能力や技術は折り紙付きです。
では、そのレベルに達していないチームの選手が、その域に達するのに同じ内容の練習だけをしていれば良いのかと言えば、ほとんどの選手においてそうではなく、その他に何らかの努力をする必要が出てきます。
これは日本でも同様で、子どもや学生スポーツにおいてさえ、同じケースがたくさんあります。
自分よりも才能に恵まれている選手と競争しないといけないのであれば、通常の練習の他に何らかの努力は必要になります。
ここまでは個人にスポットを当てましたが、チームという単位になってもこれは同様です。
相手のチームの方が才能豊かで技術がある、それでも勝ちたいのであれば、練習の内容や時間は吟味する必要があります。
このように世界最高の舞台で行われることが誰にでも適応できるわけではないということが同じ条件で真似れば良いと言い切れない事情の一つです。
少し話題は逸れますが、子どもや学生年代では勝ち負けは二の次という部分もありますが、子ども自体の勝ちたいと思う気持ちは上達に必要な要素でもあるので、指導者や監督はそこを否定せずに上手く子どもの気持ちに火をつけて欲しいところです。
話を戻して、練習時間は90分じゃなくてもOKです。
そもそも年代で試合の時間は変わりますし、プロサッカー選手でなければ毎日練習があるというわけではないという事の方が多いです。
- 次の試合はいつなのか
- 練習の時の集中力が落ちていないか
こういった要素とそれぞれのモチベーションを考慮して、時間などは検討すれば良いと思います。
自主練はOK
練習時間を制限することと自主練は別に考えてOKなようです。
ここまで書いた欧州トップチームでも「やり過ぎない程度」という制限付きで全体練習後の自主トレを認めています。
ただ、名称と言われるグアルディオラは自主練に効果があると思っていない様子で、「プラセボ(思い込みの効果)だ」としながらも、選手の気持ちを汲んで認めている様子がドキュメンタリーなどで語られています。
ただ、技術的な自主トレであれば疲労はそれほど蓄積しない上、トッププロでなければ気持ちの問題以外、技術向上のメリットも得られるはずなので、自主トレやボールを使った遊びは練習時間としてカウントしなくても良いと思います。
それでも練習時間を減らせない理由
では、これだけのメリットがあっても練習時間を減らすのは実は難しいという点について書いていきます。
一番分かりやすいのは、今までの練習時間を減らすことによる不安です。
「これしか練習していないけど大丈夫だろか?」
練習によって得られる満足感が足りないとこういった不安につながるので、結局練習時間で不安を紛らすという行動に陥りがちです。
また、監督や指導者は練習時間を短くすることで周囲から出る声を気にして踏み切れないことも多いです。
もし、練習時間を短くしてから負けが込んでしまったら、恐らく周囲からは「練習不足」を指摘されてしまうためです。
練習はしたんだけど・・・という言い訳を封じられてしまう(これは選手自身もですが)、周囲の理解を得るか、それでもしっかり結果を出すかという難しい問題に直面してしまったりします。
日本人は努力を量で計ってしまうところがまだまだあります。
残業している人の方が効率的に仕事をして定時に帰る人より評価されたり、こういった価値観は少しずつ変わっていっているものの、「体育会系(最近はネガティブな意味でしか使われなくなってきていますが・・)」と言われる世界では、まだ根強く残っている価値観でもあります。
若い指導者がこういった部分に踏み込んで行っているので、10年待たずにこういった古き悪き文化は無くなると信じていますが。
個人的に思う避けたい練習法
ここからは完全な僕個人の価値観なので、正しいとか間違っているという問題ではなくなります。
個人的には否定派なのですが、ここまで紹介した内容と正反対のやり方もあるということを書いておきます。
サッカーですごく弱いチームを勝てるようにする、あるいはある程度戦えるようにするのに一番手っ取り早いのは、メチャクチャ走り込む、という方法があります。
技術はそんなに短時間で上達しません。
一方で単純なスタミナは走り込むことで一定の効果を得ることができます。
このため、ある程度のレベルの相手とある程度戦えるように(見える)までもっていくのであれば、長時間、集中力も何も気にする必要のない走り込みをするというのも方法の一つです。
難点は
- 疲れる
- ケガのリスクが上がる
- 楽しくない
- 辞める人が出やすい
こんなところでしょうか。
個人的にはこのサッカーの楽しさを全く取り入れない練習自体に疑問を感じるので、否定的な立場になっています。
ただ、この難点を踏まえても、今まで手も足も出なかった相手に食い下がれるようになるというメリットをとることもあります。
特にまだ年齢的に幼い段階程技術差を体力で誤魔化せるので効果は大きく
保護者なども、走れるようになった、大差で負けることが少なくなったなど、見た目の効果が分かりやすいので好意的に受け取ることも多いです。
監督もある程度の結果を出しておいた方がやりやすいということもあるので、一概に否定できないのは実際のところです。
この方法の限界としては
- 相手も走れると効果がない
- 一定以上の技術レベルの相手だと走っても剥がされてしまう
結局のところ、走り込みは最初の段階をブーストしてくれるという効果になり、それ以上の位置にたどり着くためには、それだけではどうにもならなくなります。
本当はそういった時に支えてくれる技術などの武器を身につけさせてあげたいところです。
更に、最近の高校サッカーでは、技術の高い学校が、走ってくる学校に対抗するために、同じく走り込んでいるなんてこともありますし、それだけで何とかしようというのは難しくなっています。
走るのも頭を使えば量を減らすこともできますし、タイミングそのものが重要でもありますから、ただガムシャラに走るのは将来的な部分も考えて避けたいところです。