困難な判断について
一般的な業種がそうであるように、栄養士にも判断の難しい場面は大小さまざまなものがあります。
予定していた食材が届かないからどれに変更するべきかというものから、厨房の体制が整わない、あるいは衛生的な食事提供が難しい可能性を考慮して食事提供を中止するのかまで、多くの判断場面があります。
こういった時に、経験を重ねていないと判断が難しいと感じる場面も多いと思います。
ここでは、僕が若い頃からどのように判断場面を凌いできたのかを書いていきます。
栄養士の仕事を具体例にしていますが、どんな業種でも理屈は同じになると思います。
小さな変更も施設(社)内で確認
予定していた食材を業者が用意できなかった、あるいはこちらの発注ミスで異なる食材が届いてしまった際には、予定と異なる食材の使用があることをあらかじめ上司に理由・実際にどうする予定かを添えて説明します。
基本的に上司になるような人はある程度経験があるでしょうから、その対応で良いのかなど判断してくれるでしょう。
この場合重要なのは、細かいことだと自己判断で勝手に変更などを行わないことです。
なぜかというと、変更した食材での食中毒やクレームがあった場合に、勝手に変更した自分自身に責任がすべて覆いかぶさるためです。
きちんと上司に説明しておくことで、上司が勝手に解決してくれることも多いですし、知らんぷりをしようとする上司には「知ってましたよね?」という事ができる保身も兼ねています。(知らんぷりするタイプへの報告は他の人の耳にも入る場面が有効)
自分ミスによる変更の場合には少し怒られるかもしれませんが、何かあった時のことを考えれば安いものだと我慢しましょう。
基本的に大きな判断にしろ、大きな判断にしろ、その判断をしようと思う理由を上司や責任者にあらかじめ伝えておくことは必須です。
再度言いますが、そうしないと何かあった時に、上司が知らないので守ってもらえませんし、独断で行ったと言われても事実なので何も言えなくなってしまいます。
大きな判断はきちんと説明が付く方に決定する
大きな判断を行うと、どう転んでも一定の意見やクレームが入ってきます。
例えば、何らかの理由で厨房を数日閉めるという判断をした時には
- 適切な判断である
- 無理にでも開けるべきであった
この両方の意見が基本的には出てきます。
上手く片方だけという事にはならない世の中です。
これは外だけでなく、身内でも同様です。
では、どちらが安全かというと、基本的に何らかのリスクがあれば厨房は早めに閉めて、問い合わせがあった際には「閉めた理由と期間」をしっかりと伝えられるようにしておく方が確実です。
後で、「別に閉めなくても良かったんじゃないか」と言われても「そうでしたね」と言えば済むだけです。
無理に営業してなんらかの事故などがあった場合には、弁明の余地が基本的にはありません。
何故開けたかを、どんなに理論的に説明しても無駄でしょう。
このように、起こりうるリスクとそれに対する対処としての説明をしてより安全な対応を行うことが基本になります。
昔はもう少し人情があって「営業しないと困る人もいるから」と言えばある程度理解されましたが、現在はそうはなりません。
もし、栄養士であるあなたがどんなに意見しても上から、「いいから営業しろ」と言われたのであれば、責任はその判断をした人にあるので、できる限り事故が起こらないようにするのが良いでしょう。
説明を求められたら「上司の指示です!!」
というと内外共に喧嘩になるので、上司がなぜその判断を行ったのか、それは施設(社)としての判断であることを伝え、自分の独自判断でないことを相手に伝わるようにしておきます。
この手法はコロナウイルスでの休校にも言える
コロナウイルスの流行で、政府が休校の要請を行いました。
これにも専門家から賛否両論出ていますが、後々のことを考えれば、安全な方を採用したと言えます。
休校要請をしておけば、たとえこの後子どもたちの間で流行が見られたとしても、「できることをした」と考えてもらえます。
一方、学校に任せた結果として流行してしまえば、「政府は何をしていたんだ!」となります。
ここで流行が収まったのであれば、休校にしたことも何らかの成果を上げているのではないかという判断もできます。
やる・やらないなどの二択に選択肢を搾り、両方で起こりうる最善と最悪を想定し、どちらの最悪がより状況としてまずいものかを考えると、判断が容易になります。
こういった目線で見ていくと、コロナウイルス関連での一見不自然な決定も何となく理由が見えてきます。
世の中の判断の多くがこの工程を経ているということの証明にもなりますね。
まとめ
栄養士が判断する場面では、
・最悪中の最悪を招く可能性のある選択肢を取らない
・責任を自分一人で取る形になる判断形式は採用しない
この2点をしっかりと行うことで精神衛生が保たれ、冷静な判断を行うことができます。
真面目な人ほど自分で責任を背負い込もうとするのですが、それが案外焦りなどを生むことにもなりますので、肩に力が入りすぎていないかなど自己分析することも大切です。