運動する子どもの熱中症は今だに多い
特に夏場のスポーツで運動中、部活動中の子どもが熱中症で搬送された、ひどい例では亡くなるというニュースまで飛び込んできます。
子どもたちは指導者に対して非常に素直です。
休憩や水分補給も指導者の口から「休憩」「水分補給して」という声がなければ行わないチームはまだまだたくさんあります。
僕が友人たちとフットサルをしている時に感じるのは、大人は練習中でも、ちょっとだけ練習から外れて水分補給を取ったりと対応することがあります。
これは単純に昔ほど忍耐強くないという点(笑)と、水分補給の重要さを知っている点などがあります。
これに対して子供は、水分補給の重要性を十分に理解していません。
そして、練習に夢中で休憩よりも練習を続けたいという欲求の強いこともあって、休憩すること自体を嫌うこともあります。
こういった点については指導者側がしっかりとコントロールする必要があります。
なぜ、過酷な環境での練習をするのか
日本では、結果よりも過程を大事にする傾向が強いと思います。
これはもちろん悪いことではないのですが、過程を重要視しすぎるという気がしています。
このため、
「あれだけがんばったんだからしょうがない」
「努力の方向性は間違っていなかった」
というように、失敗した時のエクスキューズとして努力が利用されているようにも感じます。
本来過程を評価する際には、特に成功した時の過程を重要視するべきです。
なんといってもそれで成功しているわけですから。
でも、日本では反省という、失敗した時の振り返りのみがクローズアップされるように感じるのは上記の失敗のエクスキューズとしての努力があまりにも数多いためだと思います。
そのため、夏場の35℃を超える日中に屋外で走らせるメニューを行う指導者がまだ存在するという事態になるわけです。
あれだけ過酷な環境で、誰よりも努力をしてきた
という大義名分を手に入れるための行為です。
これには子どものメンタル強化という数少ないメリットと引き換えに熱中症など、かなりの健康リスクを背負うだけの価値があるでしょうか?
ちなみに最近はこういった「合理的ではない過酷なメニューを行うことについて
指導者の指導力不足が挙げられています。
指導者が確固たるものを持っていないので、
これだけ大変な練習を行った
という指導者側が安心したいがために、子どもたちが真夏の日中屋外でダッシュを何十本、校庭を何十周とさせられるわけです。
ダッシュは本当に足を速くするためには何十本も行う必要はありません。
何十本も走るのであれば、やる方は勿論手を抜いて数をこなすことにシフトします。
中距離なら早くなるかもしれませんが、それなら中距離走や、その種目を実際に強い負荷で行わせた方が効果的でしょう。
校庭を何十周もするトレーニングも同様です。
根性はつくと思うので、冬にたまにやると効果的だと思いますが、練習の最後にいつも行うと、「最後に走るエネルギーを残しすために、それまでの練習で手を抜く」と言う行為が常態化するため、それなら練習を100%で行う工夫をした方が良いでしょう。
ただ、指導者も人間ですから、何かあった時のエクスキューズとして
「僕はこれだけのことをやらせていました」
と、言いたい気持ちも良く分かります。
実際練習の走る量を減らすことはかなりの勇気が必要です。
その後の試合で勝てなくなれば、走らなくなったせいだと言われますし。
指導者も、それを見守る方の我々も、こういった知識をもっと持つ必要があると感じます。
海外では
僕の好きなサッカーの話になってしまいますが
海外では、夏場の試合開始をプロでも21時以降に設定していることが多く、ブラジルでは夏の日中に大会をなるべく開催しないようにしています。
こういった諸外国からすると、なぜ日本は最もサッカーに適していないタイミングでサッカーをしているのか?と感じるそうです。
そして、ヨーロッパ屈指の強豪であるレアルマドリードの下部組織は練習自体が週に4回程度、大会もきちんとプロのようにシーズン制になっていて、長期の休みもあります。
もちろんレアルマドリードには世界中の才能溢れる子どもが来るわけで、他のチームよりも育成に余裕がある点などはあるでしょうが、世界のトップはきちんと休んで、短い時間に密度の高い練習をしています。
そしてサッカーをするのに向いていない季節はしっかりと休みます。
アメリカは3大スポーツが、それぞれ盛んな時期を少しずつスライドさせているので、子どもの頃から、全てのスポーツに取り組んでみることができる環境が作られています、
練習を詰め込めばなんとかなるという考え方自体も変えていかないといけないタイミングがきているのかもしれません。
まとめ
かくいう僕も少年ジャ○プを読んで育ったので、努力・友情・正義の感覚はすごくあって、主人公が壁にぶつかって、それを過酷な修行の末に乗り越えるという手段については共感を持つのですが、今後は漫画の中ではそういった主人公に負けてしまいがちな「すごく度合理的、科学的にトレーニングや試合を行っているチームこそが勝つ時代になるのかもしれません。