最近は筋トレブームとも言える感覚でジムが増え、それに通う人達も増えてきました。
一方で筋肉をつけるためにはこういったジムに通って厳しいトレーニングが必要になると考えてしまい。
筋肉=特別なもの
と考える人もいます。
今回は、筋肉は通常の僕たちの生活でも役に立つうえ、誰の生活にもすでに貢献しているという点について書いていきます。
筋肉は誰にでもついている
これは極々当たり前の話ですが。
どんなに痩せて見える人でも脂肪はあるように、筋肉もゼロという人はいません。
筋肉ゼロでは生きていられません。
心筋も筋肉ですし、なくなったら心臓が活動できません。
行動で言うと立つ、歩くにも筋肉が必要です。
この証明に、特に運動習慣のない女性が足を骨折して松葉杖での生活を1ヶ月ほど送ると、骨折して地面につかないようにしていた方の足は見るからに細くなります。
これは使わない足の筋肉を体が省エネのために落としてしまうことで起こります。
基本的に人間の体は一定期間使用されない機能については「不要」と判断して機能を落としてしまいます。
そして足が治って、両足での生活に戻ると、今度は特別な運動を行わなくても気が付くと左右の差はなくなります。
もちろんリハビリや筋トレを行うと早く元に戻ります。
このように普通の生活を送っているだけでも筋肉は必要不可欠であってその恩恵は誰でも受けています。
なぜ筋肉を特別視してしまうことがあるのか
では、なぜ筋肉をつけると聞くと特別な行動だと感じてしまうのでしょう?
これはズバリ!
普通の生活に必要以上の筋肉に対する「努力の量」を想定してのことだと思います。
一般的よりも大きい筋肉を持っているのであれば、その人は仕事やスポーツで大きな肉体的負担を受けているか、筋トレなどのトレーニングによって体を鍛えているということになります。
その努力が体で語られているので、筋肉=特別なものとなっていると思います。
僕も筋肉で体の大きい方を見ると無意識に敬意を表してしまいます。
一般的よりも筋肉がつくとそういった目で見られるという部分はあるのだと思います。
筋肉の衰えで困る事
若いうちは特に運動習慣がなくても日常生活で困るということはほとんどありませんが、高齢になってくると自然な衰えもあり、日常生活での不便さが出てきます。
主な筋肉の減少によって起こる困りごと
・階段の上り下り 段差
・長距離の歩行
・走る
・寝た・座った状態から立ち上がる
・物を持ち上げる
こうやって見ていくと、足腰に関連することが多いことに気が付きます。
最近は道具も軽量化され、便利になってきていますが、足腰が支えるべきは自分の体であって、どうやっても一定以上には軽くできません。
このため、足腰の筋力の低下は日常生活の質の直結し、悪い場合には寝たきりの原因にもなります。
高齢の方が筋力の低下もあって寝たきりになることなどをロコモティブシンドロームと言います(詳細はこちら)
このように、特に中年以降は運動量も落ちてきますが、それによって筋肉・筋力低下も顕著になってきますので、健康に生活するにも、軽いトレーニングを行う事は必須になってきます。
僕の祖母は90歳まで元気に生きて、最後はちょっと病院に入院するくらいで、その生涯を終えました。
元気に年を重ねた理由は、最後まで2階で生活し、洗濯物を干したりと、最低限の家事を行っていたことで、足腰などがある程度筋力を保つことができていたという点もあると思います。
次点として90歳にしてジャーニーズ大好きなどメンタルの若さもあった気が・・・
今後は運動は若い人のパフォーマンスアップだけでなく、高齢の方がいつまでも元気に生活するための一つの方法になってくるでしょう。
まとめ
筋肉をつける
この言葉だけで「大変そう」となってしまいますが、若い頃の筋力を保つ程度に、と考えると少しは気が楽になるのではないでしょうか?
便利な社会は運動量を減らし、筋肉の不要な環境を作りますが、最終的に自分が自分を支えることが健康的な生活を送るという点に直結するので、便利さにかまけ過ぎず、自分を支えていける人生を送っていきましょう。
僕も今のトレーニング習慣はできるだけ崩さないで行こうと思っています。