インフルエンザの予防接種を通して感じたジェネレーションギャップ
季節がら、施設としてインフルエンザの予防接種を行うのですが。
残念なことのうちは予防接種を受けるのに、補助金は出るけど、自己負担も発生する、という中途半端な状態です。
病院に勤めていた頃は無料(当たり前かな)でしたが。
ただ、やはり職員が媒介となってしまうことでのインフルエンザの流行・拡大は防ぎたいとの、法人の弁なので全額負担してくれないと恰好つかない印象が拭えず・・・
うちは子供も小さいから、どちらにしろ受けるんですけどね。
今回、とある若い職員が数名予防接種を受けないと書類を提出。
するとその若人の上司が、
どうして受けないんだ!
と怒っていましたが。
僕が小さい頃はインフルエンザの予防接種は基本的に義務として受けるものでした。
これが一時期、効果があるのか無いのかの論争などもあって、インフルエンザの予防接種は義務ではなくなりました。
そのためか、僕はインフルエンザの予防接種を良く知っているし、どうして受けるべきかも自分で判断することができます。
でも、若い職員についてはすでにインフルエンザの予防接種は義務ではないので
「基本的に受けないもの」 「そもそも人生で一度も受けたことがないもの」になっているわけです。
それを仕事上受けるべし、と急に説いてもよく分からないのが受けない理由と言えます。
そして、良く分からないそれに自己負担が発生するとなれば「???」というわけです。
しかも、人生で一度もインフルエンザに罹らず成人したという人も結構な割合でいるもので、「なぜ予防接種が必要なのか分からない」という言葉も確かにと頷いてしまう説得力でした。
そういう僕も、社会人になるまではインフルエンザの予防接種は義務の間しか受けていないし、予防接種を受けなくなってからインフルエンザに罹らなくなったので
「本当に効果あるの?」というのは予防接種を受けている今でも思っています。
そもそも予想と違う型のインフルエンザが流行したら、効果ないですし。
しかも予防接種である以上、数%とはいえ、副作用が出る事もあるので、うちの職場のように、やや強行して受けさせようとする言動がでると、ちょっとトラブルがあった際に危ないと感じる部分もあります。(しかも自己負担あり)
更に、今回はそもそも予防接種受けるかどうかを選択権を与えてしまったわけで・・
特に今の若い子はその行為に値段相応の価値があるのかを自分なりに検討して決める人も多く感じるので(自分がオールドタイプなだけか・・)押し付けてもね~と思ってしまいます。
僕のように性格がねじ曲がってくると、もし自分の周りでインフルエンザが流行った場合に、「僕はきちんと予防接種打ってます。やれることはやったんで、僕がかかっても、流行しても僕には一切罪はありません」という免罪符が欲しくてついつい予防接種を受けてしまうという、どうしようもない理由があったりします。
そう考えると、彼らは実に自分に正直できちんと生きているような気がして、まぶしく感じてしまいます。
ひとつの予防接種をどう考えているかで年代格差を感じさせられたお話でした。