発達障害の裁判における責任問題
川崎市幸区の老人ホームで転落死が3件相次いだ事件の判決が出ました。
僕も系統は異なるものの、障害者福祉施設で働いていることから他人事でもなく、特にこの被告が発達障害という診断が出たこともあり、行方を気にしていました。
判決は死刑ということで、これについて特に何かという意見は持ち合わせていないのですが、こういった裁判で焦点になってしまいがちな責任問題と精神鑑定について思う所があるので、今回はその部分についての個人的な思いを書いていきます。
発達障害であることと責任問題
争点の一つに
被告が精神鑑定を受けて発達障害である。
そのため心神喪失などの状態である。
それらの背景から責任能力がない、あるは問えないか?
というものがありました。
この背景には様々な理由があるのですが、どうしても報道ではこの部分を大きく報じてしまいます。
争点の一つなのに、ここで「本人に責任を取る能力が無い」となれば一発逆転、という印象を持ってしまう。
発達障害のある人は何か罪を犯しても・・・という誤解につながりかねないのです。
発達障害の偏見を生む可能性
最も怖いと思うことは
「発達障害であれば犯罪を起こしても罪を問えないという誤解を世間に持たれてしまう」事、あるいは「発達障害があるからこういった行動を取ってしまったのだ」という誤解を持たれてしまう事です。
実際に今回のように罪は問えるわけです。
でも「責任能力が今後の争点」とテレビで繰り返し報道されると、そればかりがクローズアップされます。
最終的に罪を背負うことになっても、仮に無罪になってもこれでは障害のある方に対する偏見につながってしまいます。
健常者であっても十人十色です。
発達障害のある人でも同様です。
犯罪に手を染めてしまうのは圧倒的に健常者の方が多いでしょう。(分母の違いももちろんありますが)
でも、こういった重大な事件では
「普通とは異なる部分についてクローズアップされがち」です。
自分達と異なる点を見つけることで僕達はひょっとすると安心しようとしているのかもしれないですね。
ただ、こういった問題は様々な側面を持っていて
もしも、今回の事件で罪に問えないことになっていたのであれば
発達障害の人はこういったことをする人という誤解や、それが罪に問えないという誤解から、様々な仕事で雇い入れてもらえなくなるでしょう。
それ自体がリスクとなってしまうからです。
発達障害の方の肩身が狭くなってしまう・・・
こういった部分ばかりがクローズアップされないようになると良いのですが。
発達障害の現状
発達障害は様々な統計がありますが、100人に1人や50人に1人、小中学生では6.5%が発達障害の可能性があるというデータもあります。
実際に診断されていないケースを含めるとかなりの人数になることは容易に分かるくらいの数字になっています。
そして発達障害と言っても、その特徴は非常に多岐に渡ります。
その様々な状態を見ると、多くの人に「あれ?」と自分に当てはまるかも、というものがあります。
発達障害と言う言葉にむしろ僕達が縛られているのかもしれません。
そんなに特別なものでもないと言えるのかもしれません。
裁判の精神鑑定と発達障害 最後に
まとまりのない文章になってしまいましたが。
本当の意味で平等という価値観を得るまでにはまだまだ時間などかかるのかな、と感じる出来事でもありました。
相手と自分の違うという部分についてもう少し寛容な社会になると嬉しいですね。