痛みなどを忘れるのは自己防衛の為

スポンサーリンク
忘れるということ

痛みは忘れてしまうもの

人間は怪我をしたり、病気をしたりと様々な痛みを人生で経験します。

ですが、怪我や病気の原因となったものを案外平気で治った後も続けることができてしまったりします。

例えば喫煙者が肺を患って入院したとして

退院後に、みんなが懲りて禁煙する訳ではないですし

肥満が原因で病気になったとしても

その後みんながダイエットするわけではありません。

痛みは人体のSOS信号なわけですが、このようにそれを繰り返さないということにつながっていかないのはどうしてでしょうか?

痛みを忘れるという機能

これは人間の脳が忘れるという機能を持っているためです。

忘れるというと悪いことのように感じますが、ネガティブなことであれば忘れてしまった方が心も体も健全でいられます。

この証明ではありませんが。

「飲んで忘れよう」などの言葉もあります。

例えば、何らかの怪我や病気で痛い思いをしたことを思い出してください。

「凄くこの辺がこんな感じで痛かった」そんな感じのことは思い出しますが、リアルにその感覚が頭の中で再現できないのではないでしょうか?

実際に歯が痛いけど、読書に夢中になっていて、ふと「歯が痛いんだった」と思いだしたら途端に痛みを感じるようになりますが、過去の痛みは時間と共に薄れていく一方です。

僕は小学校の頃左の太ももを30針以上縫う怪我をして、縫い合わせている最中は部分麻酔しているとはいっても尋常でない苦しみだったのはリアルに思い出せるのですが、その痛み自体は客観的な風にしか思い出せません。

これは痛みをリアルに思い出すとどうなるのかという点に由来があります。

忘れられないということの代償

脳の海馬という部分が記憶に関連しているのですが、ここに何らかの障害や課題を抱えていると、「忘れない」という状態になります。

映画のレインマンなどでも有名です。

忘れないというと、僕たちからすれば便利な事この上ないと感じてしまいますが、実際に忘れない方達がどんな感じになるのかというと

怪我をした時の痛みをリアルに思い出せるので、その痛みと恐怖が再現されてしまう。

フラッシュバックというように、突然思い出すことが多いようですが、まさに「今」怪我をした状態が再現されるということです。

こういった方が突然大きな声を出したり、感情的になってしまう理由のひとつにこの忘れないという点があります。

心の痛みにしても同様で、これは日本人の方が言っていたのですが、「失恋した悲しみが、同じレベルで何回も押し寄せる、毎日フラれているようなもの」とのことでした。

こう考えると、忘れるという機能については心と体を守るために備わっていることもあり、忘れないという人は「忘れたくても忘れられない」という状態とも言えます。

忘れることで、できること

サッカーで怪我をした選手が復帰する。

一見当たり前のようですが、痛みを忘れられず、その恐怖も忘れられないのであれば同じ競技を続けることは困難でしょう。

確かに復帰へのモチベーションやその競技への愛情もあるでしょうが、結局はそれらが薄まっていく恐怖を凌駕しなければ復帰は困難です。

野球やボクシングでは、こういった恐怖感を持つことが競技への復帰を妨げている状態があることも知られています(イップスなど)

忘れることができるからこそ、続けられることもあるという事です。

忘れない方が良いこともある

もちろん忘れることを全肯定するつもりはありません。

冒頭のように肺を悪くしたことがあるのにタバコがやめられない

肥満が原因で病気になったのにその後も食べることがやめられない

これらについては忘れるという部分が悪い方に出ているとも言えます。

忘れない方が良い内容は「経験から学習すべき内容」です

こう考えると僕たちは自分で

何を忘れて

何を覚えているようにしたいか

ということを選択できるとも言えます。

正しい選択をしたいものです。

忘れる事は自己防衛の為 まとめ

今回は忘れることが人間を守ることに繋がっているという内容を書いていきました。

最近は記録するためのメディアが発達し、いつでもスマホで記録することで、頭の中で記憶する能力が低下することが危惧されています。

人間使用しない機能は無駄を省くために衰えていくものです。

しっかりと自分の頭で覚えているべき事はこういった外部メモリに頼らずにいたいものです。