支援の仕事としての食事環境の設定 先回りのし過ぎは良くない

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食器

食事環境の設定 先回りのし過ぎは良くない

食事を落ち着いて食べるために
僕は障害者施設の栄養士として働いています。

様々な施設で食事環境については気を使っていますが、その大まかなところとしては
・落ち着いて食事のできる環境
・食器など使う人に適したものを用意
この2点に集約されます。

今回はこの2点を満たす為に工夫している話、やり過ぎてしまっているかもしれないという話を書いていきます。

落ち着いて食事のできる環境設定

まずは食事を落ち着いて食べるための食堂空間を作ります。
・隣の人との間隔は余裕があるか
・食べに来る人、食べ終わって帰る人の動きの動線が重ならないか

他にも照明の明るさなどもありますが、概ねこちらは一般的な食堂に求められるものを同じです。

食器など使う人に適したものを用意

こちらは様々な事情で施設ごとに異なっています。

・まずは身体的な障害のある方についてはその人の動きに適した専用の食器や食具を持っていることもあるので、それらを使用しての食事提供を無理なく行います。

・全体的には、食器はそれぞれの大きさや重さによって持ちやすい、持ちにくい、それによる運びやすさや食べやすさが変わるので重要です。

更に障害者施設特有の課題として、感情的になったり、衝動を抑えられない場面では、手近にあるものを投げてしまうことがあるため、お皿も割れない(非常に割れにくい)ものを選ぶ傾向があります。

敢えて良い食器を使う施設も

そんな中、僕の法人の比較的新しい施設では
陶器の食器、重いけれどパッと見にも良いもので、値段も高めのものを使用することを開所当時に決定した施設があります。

今までは割れにくいものを使用して、投げても大丈夫という仕組みを作っていましたが、

そこは最初の考え方が
「投げて壊れるものは壊れて、本人にこれは投げると壊れるものだと認識してもらう」
「そして最終的には投げてはいけないと分かってもらう」
というものでした。

そもそも障害者施設ではお皿が割れることを
勿体ないからなくしたいというのではなく、
それが当たって怪我をする人が出る
割れた破片でのケガをする

こういったリスク回避のために行っている物でした。
この施設ではそういったリスクを承知で本人や家庭にも事前に説明を行い理解をしてもらって開所から5年を経過しましたが・・・・

なんと、その間に1回も食器を投げた人がいません!
これは障害者施設の様子を知る人であればちょっとした驚きではないでしょうか?

更にこの施設は強度行動障害という
直接的他害(噛みつき,頭つき,など)や間接的他害(睡眠の乱れ,同一性の保持),自傷行為などが,通常考えられない頻度と形式で出現し,その養育環境では著しく処遇の困難なものをいい,行動的に定義される群

と定義されているグループに属する方も多くいます。

それでも問題が起こっていない理由について、そこの栄養士を交えてディスカッションをした際に
「陶器の食器は重たく、重たいものを投げると危険だという事は本能的に理解されているのではないか」
「陶器は割れると大きい音がする、プラスティックやメラミンだと割れても音がしない、音の刺激に敏感な人も多いので、それを嫌ってのことではないか」
などなど、正直答えは出ないのですが、様々な憶測が出てきました。

今まで危険だから避けていた食器の方が事故が起こらないというパラドックスは非常に興味深いところです。

先回りが良くない結果につながることもある

では、割れない食器を使用してれば問題が起こらないかというと、もちろんそんなことはりません。

ある施設では、一度食器を投げたけど、その食器は割れず、周囲が騒然となって注目を浴びたことが本人の何らかの満足感を満たすことになってしまい。
それからは食器を頻繁に投げるようになってしまった。ということがありました。

確かに目的であるケガ人は出ていません。
でも、この事例では
「割れないから投げても良い」という学習をした可能性が否定できません。

こうなると、割れないように先回りして用意した環境が、食器を投げるという行動を引き起こすトリガーになってしまっている点は否めません。

ちなみに僕が以前いた施設で、やはり粗暴な行為をすることがる方が入所することが決まった際に、

お箸を良く折るという事前情報があったので、食器の業者に「折れない箸(ステンレスのようなもの)は無いですか?」と相談したところ、
「折れない箸は凶器になりますよ、実際にそういった事件が過去にありました」という話を聴けて、支援スタッフと相談した結果、「折れる箸を使ってもらって、それを折らないようになんとか支援しよう」という形になりました。

ちなみにその方は最初から1本も箸を折ることなく、無事に支援方法が確立されて自宅で生活できるようになり、退所されました。

環境が変われば行動も変わるので、最初から最悪を想定して準備することも、何か違うのだと僕の中で大きな学びになった一件です。

もし折れない箸を用意していたら結果は違ったと思います。

これは障害者に限らず、子どもの教育でも同様のことが言えます。
先回りしてケガをしない、何も壊れない場面ばかり作ってしまうと
何をしてもケガをしたことのない、物を壊したことのない子どもとして成長していきます。

そういった子どもが、いずれそういった庇護下から離れた時に、
・自分はどういった行動を起こすとケガをするのか?
・どういった状況で物が壊れるのか?
この境界線を知識として知ってはいても体験したことがないので
ふとした時に大けがなどをしてしまうことになります。

人間ケガを全くせずに生きていける人はいないし、大人になるまでに物を1つも壊したことのない人もいないでしょう。

そういったことは知識を超える経験として感覚的に本人に蓄積されていくわけですから
何事も先回りしすぎずに、本人に経験してもらう覚悟というものも必要な場面があるのあだと思いました。

まとめ

もちろんケガをさせたいわけでも、物を壊すことを推奨するわけでもありません。
でも、それらをあまりにもひたむきに予防した結果、知らないうちに先回りしすぎて、起らなくても良い問題を引き起こしていることもあるという点は見逃せないところではないでしょうか?